ワールドメイト考察 世界中に愛をワールドメイトのすばらしさを紹介するブログは数多くありますが、中に批判的なものもあるようです。ネット上で流れるこの不可思議な中傷や批判などに疑問をいだく者として、世界中に愛をワールドメイトへのネット被害問題について、考察してまいります。

ワールドメイト考察
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はじめまして管理人のFUDOUです。 このたびワールドメイトの仲間の協力を得て、ブログを立ち上げることにいたしました。ぜひ興味のある方にご利用いただければと思っています。何分一介の会員の身ですので、ワールドメイトの見解と違うところも、出てくるかもしれませんが、できる限り真実を目指そうと思います。           私たちがいるワールドメイトは、日本の数ある宗教団体の中でもそれほど規模が大きいわけではありません。でもワールドメイト教祖である深見東州先生の、超人的なキャラクターと、斬新な宗教性が、とても魅力的な団体なんです。そして時代の先をゆく、そんなパイオニアの宿命なのでしょうか、実はいくつかのサイトを見ると、批判的なコメントや中傷的な文章も目にいたします。  ワールドメイトで被害を受けた、ワールドメイトに神はいない、などという、どう見ても首をかしげたくなるような意見もありました。それに対して、私もできる範囲で確認して、私なりの意見を述べてみたいと考えています。ワールドメイトの本当の姿を知る上で、参考にしていただけると幸いです。

更新履歴

日和見主義、ご都合主義では、神様を動かすことはできないのです


 正月に行われた、ワールドメイト伊勢神業は、いろいろな意味でありがたい御神業となりました。

 ワールドメイトで普段お話されてきた神仕組みがどういうことなのかが、よりはっきりと理解することができました。同時に、私たちワールドメイト会員の次元も、お福分けで上がったのではないかと感じています。

 改めて、ワールドメイトに降りられた神々様と、深見先生の御働きに対して、深い感謝の気持ちが湧きあがらずにはいられませんでした。


 私たちワールドメイト会員が気付かない間に、何年も前から聞いていたことではありますが、日本の要となるような人たちへ、素晴らしき良き影響を与えてあることも知りました。ワールドメイト会員の一人として誇りに思います。

 そのような素晴らしき師匠の元で学ばせて頂ける環境にいながら、進歩向上が足りない自分を振り返ると、もっと精進しなくては恥ずかしい気持ちになります。そういう意味で、寒さで身が引き締まる以上に、精神が引き締まる正月神業になりました。



 ということで、今年もワールドメイトの素晴らしさについて、時間が許す限り考察してまいりたいと思います。

 また、ワールドメイトに対する疑問や批判的な意見に対しても、できるかぎり客観的な目で、意見を書いて見たいと思います。



 さて、昨年の12月に書いた内容について、まだ十分に考察できてなかった部分がありました。

 本日はその部分について、補足の意味も込めて、具体的に書き足してみたいと思います。



 12月に更新した、以下の二つの内容を読んでいただけると、より理解しやすいかと思います。


人類を困窮や苦しみから救うために、ワールドメイトがあるのです


人類救済にもとづく普遍的宗教活動が必要


最優先でやるべきことは、一つとは限らない

 ワールドメイトのスタッフさんたちは、知る限りにおいて、私のようなワールドメイトで奉仕活動を行うエンゼル会員以上に、神様に対する情熱を持ってあると思います。
 そうでなければ、専従スタッフにまでなろうとは、けっして思わないでしょう。

 そのスタッフさんのワールドメイトの神事参加については、全員が現地に行くわけにもいかないと思います。組織運営上で残る人もいないと、神事の斎行にも、ワールドメイトの宗教活動にも支障をきたすと思われるからです。

 ただそうやって現地に行けなくても、一般のワールドメイト会員と違って、衛星参加で、すべての神事に参加していると聞いています。

 あとは推測するしかありませんが、おそらく間違いないと思います。


 ところでワールドメイトのスタッフさんではない、たとえば深見先生が経営されている株式会社のスタッフ(職員)さん、あるいは深見先生が中心になって創られた公益法人などにもスタッフさんがいるでしょう。そういう人たちはまた別だと思います。

 皆がワールドメイト会員かどうかは知りませんが、ワールドメイト会員であっても、参加できる人もいれば、できない人もいると思います。

 はっきり言えば、どちらでもよいのではないかと思います。

 なぜなら前回書いたように、ワールドメイトでの活動以外に、深見先生がしなければならない活動は、待ったなしでたくさんあるからです。そちらの活動のサポートをする立場のスタッフさんたちにとっては、そちらの活動をすることが、より大事なことではないかと思えるのです。

 深見先生が、山のように大事な活動を抱えてあるのは、想像に難くありません。そのどれもが必要なものであり、外せないものばかりでしょう。深見先生が並行して複数の活動をしていかざるを得ないのは避けられないことです。

 その関係のスタッフさんが、最優先でそのことをされるのは当然であり、そうでなければ他に誰がしてくれるというのでしょう。そのためのスタッフさんであり、そのために必要な人数のスタッフさんを、専属でおかれているのだと思います。

 こんなことは、私がいまさら書くまでも無く、ワールドメイト会員にとっては当たり前の認識だと言えます。



必要なことは並行して、すべてやらなければならない

 何度でも言いますが、深見先生の活動は、ワールドメイトの神事だけが、すべてではありません。
 真・善・美に関わる複数の活動が存在するのであり、ワールドメイトでの宗教活動は、その中の善の部分の、そのまた一部にすぎないのです。

 それはワールドメイトの神事が、その中でも最優先で最重要なものであっても、変わらないのです。



 そもそもワールドメイトの神事は、危機を回避するために行なわれるものが多いです。

 大本教の時代の、世界規模で戦争がおきた時代ほどではないにしろ、今の時代には、今の時代の局地的な様々な紛争が存在します。巨大な自然災害の発生の頻度になれば、昔とは比較にならないくらい、頻発する時代になっています。

 それらのすべてを防げないにしても、事前にわかって防げる可能性のあるものに関しては、できる限り最小限度にするために、ワールドメイトで神事のお取次ぎが行われてきました。


 つい昨年の今頃からは、鳥インフルエンザがパンデミックになることでおきる、破滅的な危機回避の神事を行ってきました。これなどは科学的、医学的な裏付けをもとに、様々なアカデミックな機関も警告してきたものです。

 
 神事の多くは、根拠のある事実に基づき、おきる可能性がほぼ確実といわれるものも多いです。危機を勝手に創造して煽るものではありません。
 そのように思える人がいたら、広くいろいろな意見や科学的なデーターなども参考にして、正しい知識を持つことです。それが正しい判断力に繋がっていくと思います。

 たとえば地球温暖化説は陰謀であるとか、そういうおかしな意見に惑わされたり、騙されないことも大事な事であると言えます。


 話しがそれてしまいましたが、神事とはそのような災いを未然のうちに無くすために行われる場合が多いのです。

 それがワールドメイトの大事な役割であり、スの神様の救済の道でもあることを、私も最近の神事で、改めてはっきり自覚しました。


 ところが人類を戦争の無い平和な世界にするためには、繰り返しになりますが、そういう宗教的な理想や祈りだけではなく、神事で災害を未然に防ぐだけではなく、別の現実的な活動を同時並行で行なう必要があるのです。

 それが前回書いてきたような、神様の3つの局面を表わす「真・善・美」の活動であり、本当の神なる素晴らしいものが世に広がるには、「真・善・美」すべての活動が必要なのです。


 最終的には政治や経済が良くならないと、結局は世界が平和にならないし、争いも無くならないと言われています。経済だけが良くても政治が悪いと、我良しの世界になるので、やはり駄目になります。

 最後は政治家や、政治に影響を与える世界のトップや要人を動かして、世界中から叡智を結集し、人類の未来を真剣に考えて変えてもらわないと、理想的な世界にならないのです。


 その部分を実行するために、深見先生はワールドメイトの宗教活動以外に、いろいろな肩書で、いろいろなところで「真・善・美」の普遍的宗教性を持った、現実的な社会貢献を続けられているのです。

 深見先生のご存命中に、よりグローバルで、多様な活動を行うことにより、神々の御稜威が四方に広がり、様々な分野の優れたトップ層の人々が感動し、共鳴し、触発されて、世界が変わっていくことでしょう。


 ということで、それらの組織を担う人達は、深見先生が担われている様々な役割を、それぞれサポートする大切な役割があることが、理解できたと思います。


 以上で、“スタッフさんがワールドメイトの神事から逃れている”という表現が、いろいろな意味で間違いであることが、明確になったと思います。




周りの動向に揺れ動かない自分を確立する

 次に、「神事参加の意義を見出したいのであれば、スタッフの参加の様子に目を向けてみるべきでしょう」と書かれていましたが、この言葉に関しては、真実があると思います。

 ワールドメイトのスタッフさんからは、毎回神事にかける意気込みや情熱を強く感じています。それに呼応して、私たちワールドメイト・エンゼル会員の、気持ちが奮い立つことも多いのです。


 ただ本当ならば、たとえスタッフさんがどうであろうとも、深見先生とともに一丸となって神様に向かえば良いと、私は思っています。

 深見先生は不動の大黒柱であり、深見先生が存在されているからこそ神事を行うことができます。その周りのスタッフさんに関しては、もちろん関係ないとは言いませんが、特別こだわる必要は無いと思います。

 周りの人を当てにせず、それくらいの揺れ動かない心で、いつも神事に向かわないといけないと思っています。


 幸いワールドメイトのスタッフさん達は、もともと情熱的に活動していた人がほとんどのようです。
 ワールドメイトのスタッフになった後も、ますますその傾向が強くなることはあっても、弱くなることは無いでしょう。



 時折ワールドメイトのアンチサイトで、スタッフさんがサボっていたというコメントを見ることがあります。

 神事中に遊びに行っていたとか、そういう内容だったかと思いますが、それが事実かどうかは、私にはわかりません。

 ただはっきりいって、私にとってはどうでもよいことです。

 もし、そういうスタッフさんがいたとしても、それは例外的な存在でしょう。

 あるいは、よほどストレスが溜まっていたとか、そんな問題かもしれません。私も、神事中に飲みに行ったこともあります。いくらスタッフさんでも、そんなことまで言われるのは気の毒なような気もいたします。


 それより、そんなめったにない例外的なケースを、まるで日常的行為であるかのように繰り返し引き合いに出して、ワールドメイト会員や世間を欺く行為が、よほど問題だと思います。

 かなり昔の、それも同じ内容しか見たことがありませんので、わずかな例外であることに、おそらく間違いはないでしょう。



 深見先生は正直に、「問題がある馬鹿なスタッフもいるんですよ」と、慈悲を込めてお話されることが時々あります。

 そういう馬鹿なスタッフがいても、一度預かったからにはなんとか立派なスタッフにしなければ神様に申し訳ないという、深見先生の深い愛情と責任を感じさせるお話です。

 一般の社会ではリストラや左遷で終わるような話でも、どこまでも本人の将来を考え、厳しい中にも忍耐強く教育をされる様子が、そこから感じられました。

 本物の信仰心のある責任者とは、そのように考えるものだと、おおいに学ぶことがありました。


 いずれにしても、私はそういうアンチの人たちの、俗世間的で下世話な考え方も理解はできます。

 でもそうではない、もっと高い次元の見地から見た思考を、できる限りやりたいと思っています。



 最後に、「会員の皆様はスタッフが一柱も漏れ落つることなく参加したことを確認し、そのうえで神事参加申し込み用紙に最低限のお玉串そえて申込み、スタッフの本気度を審神しましょう。」
 「これはスタッフもかなり本気だ。本当に神様が動くかもしれない、と思った時だけ追加のお玉串を出しましょう。」
 「開祖、教祖以下スタッフ全員に対し、厳しい目を注ぎましょう。神事の成功は、きっとそんな会員さんにかかっているはずです。」
 ・・と書いてありました。


 愚にも付かない言葉だと思いますが、このような日和見主義、ご都合主義の考え方では、永久に神様を動かすことはできません。今更説明するまでも無いでしょう。

 神事の成功は、神様と自分との一対一の勝負とも言えます。そこに人さまの動きを見て決めるという心や、損得勘定で見るような心が強くあればあるほど、神力は逆に弱くなるだけなのです。

 ましてや、「開祖、教祖以下に対し・・・」などと書かれているに及んでは、もはや、まったく話にならない内容だと言えるでしょう。


 今回は当たり前すぎる内容になりましたが、反面教師的な視点で見るならば、なにか得るものがあるかもしれないと思い、加筆してみました。

2012年01月09日 トラックバック(0) コメント(0)

人類救済にもとづく普遍的宗教活動が必要


世界平和という人類共通の願い

 「天変地変で人の心が変わるのなら、今すぐにでもおこしてもよい。天変地変では、人の心が変わらぬから、苦労しておるのじゃ」と、大本教の御筆先で国常立大神様も嘆かれているように、そうやすやすと人間の心は変わらないようです。神様も大変苦労されていることがわかります。

 大変な忍耐を伴いながらも、神様は辛抱強く、人類を陰から導き続けてあると言えるでしょう。
 大本教の御筆先や霊界物語を読むと、特にそのような神様の苦労や嘆きや辛抱や願いが、とてもよくわかります。



 ところで大本教において、出口王仁三郎は神仕組みの“たてかえ”の役割を果たしてきたようです。そしてワールドメイトにおいては、深見先生が“たて直し”の役割をメインに果たされていくそうです。

 “たてかえ”である大本教の時代には、二つの世界大戦に象徴されるように、戦争によって、それまでの世界の様々な枠組みが壊れ、科学は急速な進歩を遂げ、大きく時代が変わりました。

 戦後、ワールドメイトの植松先生、深見先生が引き継がれたものは、そのような“たてかえ”の要素も若干継承しつつも、多くは“たて直し”の役割だと言う事です。


 具体的に“たて直し”とは、私の勝手な解釈では、現実的に社会や政治を動かして素晴らしく変えていくことではないかと感じています。

 神事や祈りによって神霊的に変えていくことと、同時に、神の真善美のはたらきを現実に形にして、世界の要人と協力し、世界を平和に変えていかれるのではないかと想像しています。

 
 破壊的な戦争によって、一旦は世界中が荒廃し苦しんできました。その愚かな体験を踏まえ、二度とあのような悲劇を繰り返すことがないように。新しく、恒久平和の時代へと続く枠組みを作るのが、“たて直し”ではないかと、個人的には思っています。

 そのような穏健な改革により、人類の進歩と、調和した平和な時代が来ることは、神と人類の願いそのものでもあると感じています。




 世界平和という普遍的なテーマは、多くの宗教団体が目標に掲げて取り組んでいるものでもあります。実現のために尽力している宗教団体や人々も、世界にはかなりいると思います。

 ところが皮肉なことに、究極の宗教性ともいえるこのテーマを実現していくのは、この世で言うところの宗教活動だけでは、到底無理であることもわかってきました。

 もっとあらゆる角度からすすめていかないと、現実的に世の中が平和になることは無理だと思えるのです。


神は三つの局面を持って現れる


 そもそも神様とは何か。

 本当の神様とは宗教の教えだけでわかるかと言うと、宗教だけでは本物の神はわからないようです。
 なぜなら、宗教は神様の一局面を表わすだけであり、神様のすべてではないからです。

 宗教=神様の御心であっても、神様=宗教ではないのです。

 宗教は神様を表わす「真」「善」「美」の中のひとつ、善の局面を表わすものなのです。
 ちなみに真は、科学、学問、経営などであり、美は芸術です。

 その「善」の局面も、宗教分野以外に、福祉、道徳、教育、倫理などの分野も含まれます。

 だから本当の神様の御心を、世に現わし行き渡らせるのは、いわゆる宗教活動だけでは駄目なのです。

 
 例えば芸術や美の創造であったり、学問や科学の真実を追求する分野であったり、福祉活動や教育やスポーツを通じての社会貢献であったり、色々な角度があるのです。

 それらはこの世で言う宗教活動ではありません。しかし、神様の局面のひとつひとつなのです。

 
 神様は真善美の3つの局面をお持ちなのだから、人間も、真善美の3つの局面をバランスよくやってこそ、本当の神様がわかると言われています。


 ただし退廃的な芸術や、観念的な倫理道徳など、けっして人々を幸福にしないもの、進歩向上にもつながらないものは、こういうものを神なるものとは言わないと思います。そこは注意が必要です。


普遍的宗教活動と宗教的宗教活動


 深見先生は、主にワールドメイトとは違う別組織で、福祉、芸術、学術、教育、スポーツによる社会貢献、などなど様々な活動に取り組まれています。

 それらはいわゆる宗教の活動ではありません。ただ神の局面を表わす真善美に基づいた活動という意味では、広い意味で宗教的活動といっても良いものでしょう。

 そこでこれらを、ワールドメイトでは普遍的宗教活動というふうに呼ばれています。

 そしてワールドメイトで行なっている神事やご祈祷など、巷で宗教活動と呼ばれるようなものを、宗教的宗教活動と呼ばれています。



 神さまの真善美の局面に関わる活動は、ワールドメイトの神事のような、いわゆる宗教活動を除いて、この世的には宗教活動とは呼びません。しかし本来ならば宗教団体や宗教者が取り組むべき、神なる活動であるとも言えるでしょう。

 たとえば出口王仁三郎も、空海や白隠も、偉大な芸術家でもありました。晩年の王仁三郎の耀琓(耀碗)は、芸術性が非常に高く評価されています。

 空海においては、日本三筆と呼ばれた最高峰の書の大家でした。また天文や歴などの学問にも通じていました。

 白隠も、たくさんの著作や禅画を作品として残しています。もちろん、皆共通して高いレベルの学問を習得していました。

 なのでワールドメイトでも、芸術性や文学性の高い活動が含まれますし、当然福祉活動には積極的に取り組まれていますし、社会貢献としてのスポーツにも理解があるのです。
 これらは普遍的宗教活動として、本来ならば宗教団体が取り組むべきものなのです。


 そのような活動を推進しなければ、巷の従来の宗教と何ら変わりません。
神仕組みの天啓宗教とは言えないし、新しい時代に出てきた、本物の神を世に現わす(お取次ぎする)ことも不可能でしょう。


ワールドメイトでの活動は、深見先生の人類救済や公益活動の、ほんの一部


 実際にはゴルフによる社会貢献や、オペラや能の舞台活動などは、すべてワールドメイトとはまったく別の組織で行われているものです。
 
 公益活動として取り組まれていて、その精神性に、広い意味での宗教性があるというだけです。なのでそこでは、宗教活動や、もちろんワールドメイトの布教活動など、一切行われることは無いのです。


 深見先生は、芸術文化や教育、福祉活動やスポーツ振興など、それぞれの分野で社会に貢献し、人々の幸せや向上につながる公益活動に、真摯に取り組まれています。
 
 そして、このような神より来る真善美を形にして、神様の御心と神徳を世にいきわたらせる中で、神様が用意されている多くの素晴らしい人との縁が結ばれて行くのでしょう。
 その方々が、あるいは一緒に協力されながら、きっと、世界を変えていかれるのでしょう。


 なにも宗教活動だけが神ではないのです。王仁三郎が行った、世界で1千万近く賛同者がいた人類愛善活動も、そういう意味で活動していたようです。



 そういうことで、深見先生にとっては、ワールドメイトの神事や宗教活動だけが全てではないのです。同じように大事な様々な活動を、深見先生は様々な場所で、様々な組織でされていることを理解しておく必要があるのです。

 そうすれば、前回紹介したようなアンチサイトに書いてある疑問などは、きれいさっぱり解決すると思います。

 また、ワールドメイトにアンチな人達が時々書いているような、“ワールドメイトが布教のために芸術やスポーツを利用している”あるいは、“深見東州先生が個人的な名誉のためにしている”、かのような中傷が、まったく勘違いからくる誤りであることが、よく理解できると思います。

2011年12月26日 トラックバック(0) コメント(0)

人類を困窮や苦しみから救うために、ワールドメイトがあるのです


 今日は、あるワールドメイトのアンチサイトの記事について考察してみることにします。

 それにしてもアンチ霊界にはまってしまった人たちを見ると、人間が本来持つ謙虚さや感謝の気持ちが薄らいでいるように感じます。代わりに不平不満や憎悪の気持ちが充満しているようにも感じました。

 思いやりが無くなり、いつの間にか高飛車な考えに陥ってしまっても、なかなか気が付かなくなるのでしょう。「霜を踏みて堅氷に至る」と言いますが、そこまでいくと、もはや周りの人から真っ当な意見を言われたとしても、けっして耳に入ることなど無いのでしょう。改めてこわいことだと思いました。

 これは何もワールドメイトのような神様ごとの世界においてだけでなく、社会のあらゆる場面でおきていることです。

 アンチそのものが、必ずしも悪いというのではありませんが、考え方が自己中心的になり、相手を理解しようとせず、独善的になってしまっているところに、大きな問題があるように思います。

 何事もそうですが、あまり思い込みが強すぎると、傍目にも異常に見えているのに、本人は気が付かないのでしょう。

 「人のふり見て我がふり直せ」という故事がありますが、厳に戒めていかねばと、気持ちが新たになります。


 ちなみに私が属しているワールドメイトは、宗祖であるリーダーの深見先生が、あらゆる方面で世界の立派な方たちから信頼されていて、社会性が豊かなところなので本当に良かったと思いました。



 さて本題に入りますが、本日考察する「サルでもわかるワールドメイト入門」という、ワールドメイトのアンチサイトに何が書いてあるのか簡単に要約すると、大きく二つの事柄が挙げられます。

 まず、「ワールドメイトの神事は効果が無い。そもそもワールドメイトの神事で言われている危機というのは作り話である」という趣旨の内容がひとつです。

 そしてもう一つは、「神事中に深見先生が、神事と関係の無い外遊をしている。そして、ワールドメイトの開祖以下、全スタッフが神事に参加していないのに、本気で危機を信じているとは思えない」

 ざっと書くと、そういうところでしょうか。


 最初にこの記事を読んで、面白い内容が書かれていると思いました。もちろん面白いというのはアイロニーなのですが、でも、それだけではありません。

 以前、同じワールドメイト会員の中にも、同じような疑問に陥る人を見たことがあったからです。

 それだけに、この方が書いていることを馬鹿馬鹿しいで終わらせずに、丁寧にどこがどう違うかを書いて見ることにします。おそらくこれを書いた人も、その人なりの普通の知識で、普通の感じ方で、普通の思考でそう感じたのだろうと思います。

 
 私の場合は、信仰上やワールドメイトの疑問に関して、人に相談せず、神様に祈るようにしています。 神様に気長に祈っていると、時間差はあっても必ず返事が返ってくるからです。

 それも何回かに分けて、だんだん深い内容に進化しながら、答えが返ってくることもあります。

 そうやっているうちに、疑問がスカッと晴れるように、すっきりと納得がいく時がきます。また、自分自身の知識や見識や考え方も、いつのまにかそれとともに広がっていることにも気が付かされます。
 そうやって御魂が磨かれるように、神様が仕向けられているのでしょう。ありがたい事だと思います。

 ただし答えと言っても、もちろん神様の声が聞こえるのではありません。間接的に、人や本など他の媒介を通してという意味です。誤解する人がいるといけないので、念のためにことわっておきます。
 

 


 話がそれましたが、それでは冒頭に引用したアンチサイトの疑問について、順番に考察して見ることにします。


「神事の参加を免れ得るのか」というありえない表現

 まず、この方は、「神事参加の意義を見出したいのであれば、スタッフの参加の様子に目を向けてみるべきでしょう。」と書かれていました。
 さらに、「植松愛子開祖・深見東州教祖・幹部スタッフ以下全員が、神事会場か衛星会場で必死で祈っているお姿を会員のもとに届けるのです。」と提案されています。

 以下、要点の部分をもう少しだけ引用いたします。



私はかねがね疑問に思っていました。
どうしてスタッフは神事の参加を免れ得るのか。
確かに日々の業務も重要でしょう。外せない仕事もあることでしょう。
しかし日本の危機という大事に対し、その業務のいかに矮小なことか。

スタッフは会員よりみな上位の宗教家にして神業奉仕者です。
そのような者たちが率先して参加しないのであれば、それは神に対し、いえ神と会員に対し侮りがあるとしか思えません。
そもそもスタッフが全員参加しないなんてこと自体、なにか間違っています。
本気で危機感を感じてないに違いありません。そして会場に深見東州氏のお姿がないなんて、そもそも本気で神事を行う気があるのか。



・・・ということを書かれていました。

 一見すると、あたりまえの事が書かれているように思えますが、じっくりと基本的なところから考察してみることにしましょう。


 まずワールドメイトのスタッフさんたちは、この方が書かれているとおり、神事参加をのがれているのでしょうか。

 もちろんそんなことはありえません。そもそも「神事の参加を免れ得るのか」という表現が、この記事の勘違いを象徴しているように思います。


 おそらくワールドメイトの神事のことも、それ以外の活動の事も、基本的に理解されていないことがわかるのです。まずはそこから説明しないといけないでしょう。


ワールドメイトの神事とは

 まずワールドメイトの神事とは、免れ得るとか、逃れるとか、参加しなければいけないとか、そういうものではありません。自らすすんで、喜びと感謝の気持ちで参加させていただく、とてもありがたいものです。

 もし、参加できなかったとすれば、「参加できなくて残念だった」、「神様や先生に対して申し訳なかった」などという気持ちが出てくることはあるでしょう。

 「免れ得る」という言葉の意味には、本来しなければならないことを、やらなくて済んでほっとしているという、そういう意味があると思います。
 しかしワールドメイトの神事とは、「しなければならない」という、義務感や悲壮感で参加するものではありません。個人的な「損得勘定」で参加するものでもありませんから、「神事を免れ得る」という表現は、どこから考えても出てくるはずがない表現なのです。

 万が一そのような気持ちで神事に参加している人がいれば、その人の神業の考え方が微妙に歪んでいることを、まず心配すべきかもしれません。


 そのような神業的な考え方は、ワールドメイトではあたりまえすぎるほど基本的な事です。しかし何のために神事をするのかについても触れておかなければ、十分理解することができないでしょうから、何度かこのブログでも書いたかもしれませんが、もう一度書いておくことにします。


なぜワールドメイトで神事を行うのか

 日本もそうですが、世界にはさまざまな重大なる出来事(事件・災害)が、毎年のようにおきています。当然、これから先もおきてくるでしょう。

 それらは戦争や感染病、経済問題、自然災害、地球温暖化問題など、ほっておくと最悪は人類が滅ぶようなものから、局地的な被害になるものまで様々です。

 それらの多くが人災と言えるものであり、人間が作ってきた過去の歴史や、現在の行動から発生していると言っても、過言ではないと思います。
 人間の行為が、自分で自分の首を絞めるような結末にしているわけです。

 
 しかしそんな人間に対して、神様はいつの日か戦争も災害も無いような、平和な世界を作ってほしいと願われていて、陰ながら人類を導いてこられていると言われています。
 
 ところが人間が強欲で権力志向的で、自分勝手で利己主義なままでいる限りは、とうてい平和な世界が来るはずがありません。

 時々、「神様だったら平和な世の中にすぐにできるんじゃないか」という人がいるんですが、その気持ちも分からなくはありません。
 特に一神教では、善なる宇宙創造の絶対神しかいないわけですから、そんな全知全能の善なる神様しかいないのなら、もっと完璧に善なる世界になっていてもよさそうなものです。

 ところがそういう問題ではなく、宇宙を創造した神様は、全知全能の可能性は秘めていますが、全知全能ではないと言われていました。

 何億年という歳月をかけて、少しずつ全知全能に近づいていると考えれば良いと思います。

 もともと全知全能というのは、言葉や概念としては存在しますが、何を持って全知全能というのか、実際には存在できないものだと言えます。
 完全な円や正三角形が、数学上の概念では存在していても、実際に完璧な円も正三角形も、この世に存在していないのと似ています。

 ですから、宇宙創造の神様も、全知全能ではないという事です。


 たとえば魔法のように一瞬で人間の心を変えることはできません。一夜で中学生レベルの頭脳から、大学教授のような緻密で賢い頭脳に変えたり、若いころから冷酷で無慈悲だった人を、一瞬で愛情深い優しい人に変えることもできないのです。

 それらは時間をかけて、人間がいろいろな苦い体験や成功の体験、必死の努力や精進を積む中で、少しずつ変わっていくものです。
 何度も生まれ変わり死に変わりしながら、膨大な年月をかけて人類は成長しているのです。その分神様も全知全能に近づいていると言えるのでしょう。


 その長い人類の成長の歴史において、神様は時代の節々で偉大な聖賢たちを世に送り出してきました。
 この世は神様の代行者として、神様の分魂を持った人間が主宰しています。なので神様も、人間を通してしか、この世においては動けないと言われています。
 だから神なる知恵を持った天才たち、あるいは神様の生まれ変わりのような聖賢たちがこの世に生まれてきて、長い長い年月をかけて神様の理想とする世へと導いているのです。

 そういう意味では、人間も、神様が全知全能になりつつある一部分だと言えます。

 神なる大元霊と人間が神人合一して、初めてこの世が神様の御心にかなう世になっていくわけです。


 太古の昔は、そのような神人合一の時代があったと言われていました。

 そのような時代に、神様は戻そうとされているそうです。



 一方で、神様は先ほど触れたような、人間の業によっておきる天変地変や人災を通し、人類が改心していくように追い込んでいると言われています。その大詰めが、ちょうど今の時代にあたると言えます。

 過去に出てきたシャーマンや預言者の多くが、今の時代に何か大きな変動があることを予言しています。あるいは人類の存続にかかわることを、いくつかの予言書に残して警告しているのも、そのような時代の到来を告げるためだったのでしょう。


 神様は全知全能ではないので、だから、核兵器もこの世の悪も一瞬でなくすことはできません。神様は人間を通して、人間が努力によって越えていくときに、人間に叡智を与えて悪を無くし核兵器が無くなるように、自然な形で一個ずつ解決していかれるのです。それが、全知全能になっていくプロセスにもなるわけです。

 人間がそうやって進歩向上した分だけ、神様も全知全能に近づくわけです。そして人類救済の努力をする時に、人類が最も進歩向上すると言われていました。


 だからワールドメイトの人類救済の神事では、人々の誠がある程度結集し極まれば、神様は大きな神力を出されるのでしょう。人間が人類救済を思って精進努力している時に、神様はもっとも大きな力を発揮されるわけです。

 その神力で多くの人間に叡智が授かり、困難や問題が解決に向かい、世の中が変わっていくのでしょう。そして人間が進歩向上した分だけ、神様も全知全能に近づいていくのでしょう。



 現代の神仕組みが降りているワールドメイトでは、深見先生をご先達として私心無き神事を行うことで、毎回必ず大神霊が発動されます。

 その証が、世界や日本にはっきりと現れる現象を、ワールドメイトの神事に参加してきた会員は、はっきりと、何度も体験してきました。

 覚えきれないほどの膨大なる証が、ワールドメイトの過去のメルマガにも、多く残されています。

 それを読むだけでも、いかにすさまじい神力が現れてきたのかが、手に取るように感じることができます。

 ワールドメイトが行う神事は、このように大きな神力を動かして、人々を苦しみや災害から救う使命があると言えるでしょう。


 大きな方向としては、ワールドメイトが無くても、いずれは素晴らしい理想の世へとなっていくと言われています。
 しかしそこに至るまでには、大きな苦しみや困窮が避けられないのです。

 今の、世界の現状を見ていくだけでも、それははっきりと理解できます。

 その苦しみや困窮からできる限り人類を救うために、天啓によってワールドメイトが出てきたと言えるでしょう。


 「ワールドメイトの神事は効果が無い。そもそもワールドメイトの神事で言われている危機というのは作り話である」という趣旨の内容が、まったく事実と違う内容であり、神事への深い理解も無い見当違いの内容であることが、これで良くわかって頂けると思います。

2011年12月09日 トラックバック(0) コメント(0)

超人的オーラを無くして普通にされている深見先生

 


 最近の記事のようですが、ワールドメイトのアンチサイトで島田裕巳さんのツイッターが紹介されていました。

 アンチサイトはできるだけ見ないようにしていたのですが、時々つい見てしまいます。
 そこに、なかなか興味深いことが書いてありましたので、今日はそのことについて、私の体験も交えて考察してみることにしました。


「ワールドメイト元・会員ブログ」の最新記事から一部引用いたします。

次に、宗教学者としてオウム事件以来一般にも知られるようになった島田裕己先生の今月1日のツイートです。
島田裕巳
ワールドメイトの深見東州教祖が半田晴久氏としてBSのテレビに出ている。昔よりカリスマ性がないなあ。
moshamosyaと他7人がリツイート

…ちょw でも昔はカリスマ性があったと認めてくださっているのですねw 今は…博士もお年を召してまるくなられたのではないかと思いますw 

しかしひとたび先生がツイッターにてワールドメイトや深見東州/半田晴久の名を呟かれますと、上記のようにあっという間に一般に拡散しているようですから、とても有難いことですね(にっこり)

コメント

『島田先生はワールドメイトのことをお忘れになっていたのかと懸念しておりましたが、そうではなかったのですね。もはやどうでもいい宗教に格下げされてしまわれたのだと。
雌鶏ブラスバンド』





 この記事を書いたアンチの人達は、皮肉たっぷりに書かれているようですが、著名人とはいえわずか一人の何気ないつぶやきを大袈裟に取り上げて、そこから強引に一般化しようとするやり方は、もはや通用しません。

 残念でしょうけど、深見先生のこれまでの足跡の素晴らしさと人間性は、圧倒的多数の方が認めるところであり、世界中の多くの人々の信頼と敬愛に繋がっているのです。



 島田裕巳さんの著作は、私も何冊か読んだことがあり、勉強させてもらっています。
 鋭い切り口と、宗教の意味を社会の中でどうとらえるか、とてもよく研究されている方だと感じています。

 その宗教学者としての実力を私も認識した上で、島田裕巳さんが深見先生の番組を見られて、そのように思われたのであれば、ある意味で正直な方だなと思いました。


 どういう意味かと言えば、たとえば20年前や15年前の深見先生と、現在の深見先生は、かなり印象が変わられたと思えるからです。

 年を取られた分、老けられたということではありあません。むしろ、今年還暦を迎えられましたが、年齢に関しては、以前よりますます若く見えるようになられました。


 では、10年以上前の深見先生と現在の深見先生の大きな違いは何かというと、グローバルな、社会性の違いではないかと感じています。


 まず見た目の印象から言えば、たとえば昔の深見先生の印象は、清々しいまでの純粋さと、フレッシュな若さが感じられました。当然オーラは全開という感じで、眩しすぎるような、普通にしていても、この世の人ではないようなとても賢い、超人的な感じがしていました。
 昔からとても気さくな方ではありますが、カリスマ性があり、私などは、近寄るのもはばかれるほど、緊張したものでした。


 それから20年、15年と精進を続けて来られて、もともとそうでしたけど、一層世の中においての社会的なステイタスや働きが、今や圧倒的に多くなられています。

 つまりかなり昔の深見先生でしたら、斬新な宗教団体の若き天才的教祖であり、(神意によってはじめられた)事業で成功した経営者、というイメージも強かったかと思います。

 ところが今はどうでしょう。芸術家としてはオペラをはじめとして、音楽や絵画や文学や能など、色々なジャンルで一流になられています。さらに責任のある公益的な要職の依頼がいくつもあるなど、多くの役職を兼任されています。

 
 ワールドメイトの深見先生のことを、あまりご存じでない人もいるかもしれませんので、ここでほんの少し、ワールドメイトのホームページからプロフィールを紹介してみることにします。


国立中国歌劇舞劇院(オペラ団)正団員、海外芸術顧問。中国合唱協会名誉理事長。中国国家一級声楽家に認定。 北京京劇院正団員、梅蘭芳(メイランファン)京劇団団員、中国国立戯曲学院客員教授、中国国家二級京劇俳優に認定。中国国家一級美術師に認定。 戸渡阿見(ととあみ)オペラ団主宰。劇団・東州主宰。その他、茶道師範、華道師範、書道教授者。現代日本書家協会顧問。社団法人日本デザイン文化協会評議員。社団法人日本ペンクラブ会員。現代俳句協会会員。
国立中国歌劇舞劇院(オペラ団)正団員、海外芸術顧問。中国合唱協会名誉理事長。中国国家一級声楽家に認定。
 北京京劇院正団員、梅蘭芳(メイランファン)京劇団団員、中国国立戯曲学院客員教授、中国国家二級京劇俳優に認定。




芸術・文化関係だけでも、素晴らしい一流の社会的活動がわかりますが、まだ、ほんの一部に過ぎません。

次は教育者、学者としてはどうでしょう。


カンボジア大学総長、政治学部教授。中国国立浙江工商大学日本文化研究所教授。その他、英国、中国の大学で客員教授。ジュリアード音楽院名誉人文学博士。オックスフォード大学 Honorary Fellow。ロンドン大学東洋アフリカ学院(SOAS)Honorary Fellow。その他、西オーストラリア州の州立西オーストラリア大学、州立カーテン工科大学、州立エディスコーエン大学ほか、イギリスの大学より名誉博士号を授与。
西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院修了。創造芸術学修士(MA)。中国国立清華大学美術学院美術学学科博士課程修了。文学博士(Ph.D)。中国国立浙江大学大学院中文学部博士課程修了。文学博士(Ph.D)



以下、カンボジア関係では、

カンボジア政府顧問(閣僚級、大臣待遇)、ならびに首相顧問(オフィシャル・アドバイザー)。在福岡カンボジア王国名誉領事。アジア・エコノミック・フォーラム ファウンダー(創始者)、チェアマン。国立カンボジア平和協力研究所(CICP)副総裁、日本文化・経営研究センター所長。 。東南アジアテレビ局解説委員長、東南アジア英字新聞論説委員長。



国内では、

財団法人 協和協会理事長、財団法人 日印協会理事、公益財団法人 日本国際フォーラム理事、社団法人 日本紅卍字会理事兼名誉会長、NPO法人 日本ブラインドゴルフ振興協会(JBGA)名誉会長、国際スポーツ振興協会(ISPS)会長、NPO法人 世界芸術文化振興協会(IFAC)会長、NPO法人 世界開発協力機構(WSD)総裁、NPO法人 国際縄文学協会会長など、公職多数。海外では、英国王立盲人協会(RNIB)副総裁、世界ブラインドゴルフ協会総裁、The LEGENDS Tour(米国女子シニアゴルフ協会〔WSGT〕)会長、カンボジアシアヌーク病院 創設者、兼米国公益法人シアヌーク病院副会長、「ワールドメイト未来の光孤児院」(カンボジア)会長、梅蘭芳(メイランファン)京劇団基金会理事長、北京戯校教育発展基金会会長、インターナショナル・シントウ・ファウンデーション(ISF)代表〔国連経済社会理事会(ECOSOC)認可NGO、国連広報局認可NGO〕、世界宗教対話開発協会(WFDD)理事、アジア宗教対話開発協会(AFDD)会長、ヨーロピアンシニアツアー顧問兼国際大使、ゴルフオーストラリア総裁兼国際大使、オーストラリアPGA終身名誉会員、アジアンツアー国際大使、ニック・ファルド アジアシリーズ公式国際大使、ニック・ファルド基金名誉顧問などを務める。




その他、

国内外に十数社を経営し、実践派経営コンサルタントとして多くのシンポジウム、講演会を主催、経営評論活動を行っている。また、西洋と東洋のあらゆる音楽や舞台芸術に精通し、世界中で多くの作品を発表、「現代のルネッサンスマン」と海外のマスコミなどで評される。また、人生論、経営論、文化論、宗教論、書画集、俳句集、小説、詩集などの著作も多い。140万部を突破した「強運」をはじめ、「『日本型』経営で大発展」、「UNDERSTANDING JAPAN」など、著作は240冊以上に及び、7カ国語に訳され出版されている。小説家、劇作家、詩人としてのペンネームを戸渡阿見(ととあみ)とし、短篇小説集「蜥蜴(とかげ)」、日本図書館協会選定図書になった、短篇小説集「バッタに抱かれて」をリリース。また、求龍堂より発売された最新画集「深見東州・自選画集」も、日本図書館協会選定図書となる。その他、ラジオパーソナリティーとしても知られ、多くのレギュラー実績がある。現在は、週2本のレギュラー番組「さわやかTHIS WAY」(FM・全国ネット)、「レオナルドTOSHUの遊びがNight」(FM・NACK5)を担当。また、テレビでは、週2本のレギュラー番組「サクセス登龍門」(BS11)、「世界のいま」(TOKYO MX TV)がある。MXテレビで出演した番組は、これまで35本が放映されている。
(以上、ワールドメイトホームページ参照)




 きりがないのでこれ以上は割愛しますが、このように、20年、15年前と比較すると、圧倒的に重要な公職や広く公益に携わる要職の活動が増えてあるのです。

 この傾向は、ますます今後も続くのではないかと思います。


 現実的に見ると、これらのほとんどが、ワールドメイトの宗教活動とは別の社会的活動ばかりです。社会性、公益性において、現実的な活動の幅が大きく広がっていることがわかります。

 これが何を意味するかというと、輝く純粋な神霊家が放つ眩いばかりの光のオーラを和らげ、現実的な世間に入って行かれているということだと思います。泥田のような現実社会に根を下ろして、救済活動、社会貢献活動を幅広くされているのです。


 お釈迦様が衆生を救済するために、悟った後もあらゆる人に説法をされたように。
 あるいは空海が、圧倒的な万能の天才という優れた部分を持ちながらも、空海の方から腰を低くして、妥協しつつ、俗世に真言宗を広めていったように。

 同じように深見先生は、20年前よりさらにオーラの輝きは増し、今は超人というより、肉体は人間でも中身は神様のようになられていると感じますが、あえてそのような輝きを隠して、世俗の中にどっぷりと浸かって救済活動を続けられてあるのだと思います。


 
 「老子」の「其の光を和らげ、其の塵を同じくす」から来た言葉で、“和光同塵”という言葉があります。
 意味は、「自分の光り輝く才能や徳を隠して、世の塵にまみれる」ということです。
「和光」は才知の光を和らげ、隠すこと。「塵」はちりのことで、転じて、俗世間を表わします。「同塵」は俗世間に交じわる、合わせることを意味します。
 
 また、仏教では、仏や菩薩が仏教の教化を受け入れることのできない人を救うために、本来の姿を隠し変えて、人間界に現れることをいうそうです。


 そのような働きを、お釈迦様も、空海も、著名な禅僧たちもやってきたのです。

 単に宗祖として組織の教主におさまることなく、苦しく汚いこの世の俗にまみれながら、世の中に出ていかれているのです。衆生を救済するためにです。そして物わかりの悪い衆生を救済するには、その衆生に合わせないといけないのでしょう。それであえてカリスマ性を消して、普通に接しやすくされていたのでしょう。
 あまりに慈悲が大きいために、そうされてきたのです。

 だからこそ、本物の偉大な宗教家として、お釈迦様や空海は、千年、二千年の時を超えて、いまだに信仰の対象になっているのでしょう。


 ワールドメイト会員ならば、おそらく深見先生に対して、まったく同じ形とは言えないまでも、そのような一面を感じている人もいるでしょう。

 近寄りがたいような、超人的なオーラを一切消して、普通にされているのではないかと感じるのです。

 どう見ても今の深見先生の方が、20年前の深見先生に比べて、圧倒的に万能の天才と呼べる域に達してあるのは事実が証明しています。それにもかかわらず、あえて普通に見えるようにされているというのは、これは驚異的な事だと思います。
 間違いなく、前人未到の達人中の達人の域に達せられているとしか、もはや説明ができません。



 あるいはもしかすると、これは私の想像ですが、高い次元の神人になると、そのような人間に近いオーラは消えて、かえって普通に見えるのかもしれません。

 後光がさすという言葉は、仏様やエンゼルのようなレベル、あるいは光輝く神社の神様のレベルに言えることです。

 さらに上の高次元の神界にいくと、すずやかなこの世の気とは思えないような気だということです。何度かそのような気を、深見先生がいるところでワールドメイト会員は、体験させていただきました。
 

 現実に近い気は温かいし、或いは眩しかったりするようです。しかしむしろその方が、普通の人から見れば後光が差しているように見えたり、もの凄いオーラをまとっているように感じるのかもしれません。

 ところが、高級神界の神々のレベルになると、この世の人間の気はなくなるのでしょう。
 この世の気ではない繊細微妙なかすか気になるようです。

 だから普通の人から見れば、オーラのようなわかりやすい気では無い分、わかりにくく、普通にしか見えないのかもしれません。

 それが深見先生が本物の神人になられている証明でもあり、私が島田裕巳さんが正直な人だと思ったのも、そのような理由からなのでした。



 実際の深見先生に対しては、ワールドメイト会員は皆、どこかに畏れ多いという気持ちは持っていますが、教祖に対しているとは思えないほど親しく接することもあります。信仰対象として神格化することなどはありません。 どちらかといえば、映画や音楽の人気スターを憧れを持って見るのと似たような目で、深見先生を見てしまうことはあります。

 お釈迦様や空海とは、時代や国柄の違いもあるとはいえ、その点は深見先生にしかない大きな特徴です。

 男性としてかっこよすぎて、深見先生の男らしさに、多くのワールドメイト会員が心ときめかすからだと思います。

 なので、そればかりはどうしようもありません。私のような古い会員は、まるでファンクラブ的だなと思うこともありますけども、それも深見先生の魅力のなせる業ですから、良いのではないかと思っています。


 ただし、あまりに行き過ぎて礼節を欠いたり、馴れ馴れしくなるといけないと思います。
 たまにそういう人もいますから、心配になることもあるのでした。

2011年11月26日 トラックバック(0) コメント(1)

いろいろな宗教が出てきた歴史の中で、ワールドメイトが果たす役割

 


 ワールドメイトは神道ですが、日本には神社本庁という、全国のほとんどの神社が加盟している日本で一番崇敬者が多い神道団体があります。
 その数、文化庁の統計によると、なんと9500万人とされています。 

 仏教も伝統的なお寺を中心とする仏教徒と、新宗教系の仏教団体の信者数を合わせると、あくまで公称上ですが、いい勝負になると思います。


 それに対してキリスト教やイスラム教のような一神教は、日本人の感性や肌に合わないのか、信仰する人はとても少ないようです。

 私は個人的に、学生時代、教会に何度か行ったことがありますが、キリスト教の雰囲気はけっして嫌いではありません。

 厳かな中で敬虔なる祈りを捧げるクリスチャン。また、どこまでも優しく愛を説く神父さんのお話には、それなりに神に対する信心の心をおこさせる何かを感じました。

 ただプロテスタントは、やや観念的な部分もあるかもしれません。カソリックは、ミサという典礼儀式があるためか、もう少し理屈抜きで神なるものを感じやすいと思いました。


 イスラム教については体験したことありませんが、ワールドメイトでは、「清真の教え」と言われていたと思います。

 ある意味キリスト教より一層ピュアな部分があり、そこに神なるものを感じるのかもしれませんね。

 ただしこれらの一神教は、特にプロテスタントに関しては純粋な信仰のみという感じで、日本の神様に多い現世利益、いわゆる「おかげ」はあまり無いようです。それが原因で、日本では根づきにくいのではないかと、ワールドメイトでは言われていました。


 神社の神様は現世利益をバシッと出されるだけに、そういう土壌がある国に布教するのはかなり難しいでしょう。

 仏教にしても真言宗の護摩祈願などは、はっきりした現世利益を出すところもあります。
 教えも広範で、特に霊界の心の部分の有様をしっかり説いているので、日本人の感性に、かなりはまるのでしょう。
 逆にその部分に関して神道は説いていないので、互いに補完し合う形で共存できたのでしょう。


 最近、神社仏閣によってはかなり廃れているところもあるようです。あるいはお坊さんにも、あまりありがたくない人を見かけることもあります。
 それに加え、お参りする参詣者の方でも、観光的なお参りであったり、お賽銭だけのあっさりしたお参りであったりで、正しくお参りする人がほとんどいないと言われています。

 それでは、せっかくの神仏のおかげも、あまり出ないかもしれませんね。


 ところでお隣の中国では、共産党の脅威にならないと判断される限りにおいては、信教の自由が認められているそうです。しかし国民の宗教への関心は、かなり低いと聞きました。

 日本人も最近、拝金主義的な考え方や、道徳的なことよりお金が何より大事という人が増えてきました。それより一層、中国においてはお金が絡むものでないと、関心が低いと聞きます。

 ワールドメイトに対してアンチな発言をする人たちも、これと同じ部類かもしれませんね。



 ワールドメイトもそうですが、神社の神様は、正しく祈れば必ずおかげを出されます。
 ただワールドメイトは、おかげのために信仰しているわけではないので、そこをはき違えるとおかげも出なくなります。

 ワールドメイトにアンチな人たちも、おそらくそこが十分に理解できてなくて、挫折してしまったのでしょう。ちょっと残念な事ではあります。


 ところで中国人に限らず、日本人も最近は無信仰と答える人が多いようです。

 海外では、特にキリスト教圏では無信仰というと、いろいろ問題ありの人物のように思われます。
 日本以外の国々(中国など政治が共産党一党独裁の国は除く)では、神様の存在を信じていることがむしろ普通であり、当たり前のようです。

 アメリカは信教の自由がありますから、本当は無信仰でも構わないと思います。それでも神様を信じないと言う人は、10人に1人くらいと言われています。

 それに比べると、日本人に無信仰と答える人が多いのは、少し寂しい気もします。

 神社やお寺に参る人はかなりいるので、神仏をまったく信じない人はわずかかもしれません。特別な宗教を信じていないという事か、神様を信じている自覚が無いだけのような気もします。


 ワールドメイトにアンチな活動をしている人のなかには、神仏を信じないという人がいます。あるいは、ワールドメイトで言われる神様は信じないが、神社の神様や伝統的な宗教の神様なら信じるという人もいます。あるいは、漠然と神の存在は信じているが、宗教団体の神様は信じないという人もいるようです。

 ワールドメイトにアンチな人達でも、このように複雑ですから、信仰が無いと答える人たちも、相当複雑だと思います。

 それについての私個人の意見はいくつかあるのですが、ここではひとつだけ書いておくことにします。


 もし、神様への信仰を真剣に学びたいのでしたら、やはり、それなりの宗教団体で勉強するのが近道だという事をいいたいです。

 そうでないと、信仰の入り口あたりをうろうろして、なかなかそれ以上先に進むことができないでしょう。

 本当はワールドメイトで学ぶのが一番良いのですが、キリスト教でも仏教でも、興味が湧くものから体験してみるのも良いと思います。

 それほど極端な教えのところは少ないでしょうから、いくつか経験してみるのも悪くは無いと思います。そして合わないところや、どうしても納得できない時などは、他に移れば良いと思います。

 あの天才宗教家の空海にしても、密教(真言宗)に進むまでに、神道や儒教、他の仏教宗派もすべて勉強したと書かれています。

 ひとつの宗教だけでなく、色々なものを学び経験している人は、一番しっくりくるものに出会えるかもしれません。


 ちなみにたくさんの宗教を巡ったあげく、最後にワールドメイトに来たと言う人がときどきいます。

 そういう人は、いろいろめぐってきた宗教と比較して、ワールドメイトの宗教性を高く評価する人がほとんどです。そしてワールドメイトで、やっと求めてきた真実を見つけた。最後に本物に出会えたと感激する人もいます。

 私は、本当に真実を求める人は、必ず求めるものに出会うことができると、そう信じて良いと思っています。


 時々神さまの存在は信じているけど、特に宗教に対して興味が湧かないという人もいます。
 そういう人は、前世でたくさんの宗教を経験し学びつくしている人である場合が多く、もうそれ以上宗教に関心を持たなくなるようです。

 今これを読まれている方で、もしもそういう方がいれば、ぜひワールドメイトに来られると良いと思います。

 伝統的な宗教もそれぞれ良さがあります。しかしいまひとつ関心が無い人は、ワールドメイトに来れば、求めるものに出会う可能性があると思います。



 ここでついでといえば何ですが、多神教と一神教の関係についても理解しておく方が良いと思いますので、簡単に書いてみたいと思います。


 まず、キリスト教成立以前のヨーロッパや中東あたりの国々については、多神教的な世界であったといわれています。

 日本で、ある地域に住む人々は八幡信仰ですが、ある地域の人々は白山信仰という、それに近い感じと思ってよいかと思います。


 ギリシャやローマ、エジプトの神々も多神教ですが、それぞれに違いがあります。
 その違いについて書くと膨大になりますので省きますが、エジプトやギリシャ文明の偉大さについては、ここで改めて書く必要も無いでしょう。その背景に神々の働きがあったことだけは間違いないと言えます。


 392年にローマがキリスト教を国教とした後、やがてキリスト教が西ヨーロッパにまで広がっていきますが、改宗する前の西ヨーロッパは、ドルイド教というケルト人の自然崇拝的な宗教が主流でした。
 ドルイド教の森や湖に神が住むというところは、日本の神道とまるでそっくりですが、神道の場合は、すべての自然に神が住むとはしていませんので、その違いはあります。


 とにかくここで言えるのは、古代の世界は、アニミズム的なものも含めて、皆多神教的な世界観だったという事です。

 南米やアフリカ、オーストラリアも、それぞれの土地にまつわる伝承や神話などから、神々を祀っていたようです。

 
 現在多神教は、中国の道教、インドのヒンズー教、日本の神道などが有名です。仏教も、多神教といってもよいでしょう。ただし、仏教はブッダの悟りの部分が重要で、神という存在は出てきません。

 それに対してユダヤ教は、後にキリスト教、イスラム教にもつながることから、この3つの宗教をアブラハムの宗教と言いますが、一神教の元祖と言って良いと思います。

 ゾロアスター教を一神教の最古とする説もあるようですが、年代からいくとゾロアスターよりモーゼの方が古いようです。ワールドメイトでは、ゾロアスターについて、いつごろの人であるかもわかっています。
 また、ゾロアスター教は、内容から言っても一神教とは言えない部分があるようです。

 そのユダヤ教が成立したのは、モーゼの十戒の頃(BC1300年ころ)だとも言われています。
 ただしヤーヴェ信仰の始まりはアブラハム(BC1800年ころ)であり、歴史上ではっきりと形になってきたのはダビデ王の頃(BC1000年ころ)とも、バビロン捕囚の頃とも言われています。
 それぞれの地域でいろいろな人々が、いろいろな神を信じる中において、ユダヤ教が認知され確立していったのでしょう。


 その後キリストが現れ、キリストの死後にキリスト教が、さらに7世紀の初めにはマホメットが天啓を受け、イスラム教が成立していきます。

 そして近代にいたるまで1000年以上にわたり、キリスト教圏とイスラム教圏における争いと殺戮の歴史が存在します。また、同じキリスト教圏同士でも、イスラム教圏同士でも争いはおきています。
 その宗教間の争いに関しては、前回に考察してきました。



 現代では、前述した多神教であった世界の国々の多くが、キリスト教やイスラム教圏になりました。
 東南アジアやインドなどの仏教、ヒンズー教の国々、一部シベリアや北米、アフリカや南米の奥地、そして世界最大の人口を持つ中国は、その限りではありませんが、世界人口の半数以上は、一神教を信じていると言われています。

 近代国家において、古い時代からの多神教がそのまま現在まで残っているのは、唯一日本だけだと言えます。先進国でなくとも、古くからの宗教がきれいな形のまま、現代に継続されているのは大変珍しいと言えるでしょう。

 これは日本が大陸の縁辺に位置する島国であったため、他国との領土争いや、侵略を受けにくかったことが大きな要因と言われています。それにしても本当に奇跡的なことだと言えます。

 日本では、そのおかげで自然が大きく破壊されることもなく、いまだに森や湖や川、海などの自然と共生し、神々様も住んであるわけです。


 お隣の中国もそうですが、古代ヨーロッパや古代オリエントでは、異民族の侵入や戦争や帝国の成立など、数々の争いと破壊で社会が壊されることが繰り返されてきました。

 そんな中から釈迦が現れ、孔子、老子が現れ、キリスト、マホメットが現れ、仏教や儒教、キリスト教など、いわゆる宗教というものが成立していきます。それまでの多神教の世界の信仰とは、あきらかに違う宗教の教えというものが確立されていったのです。

 それ以前の多神教的宗教とは、日本の神話もそうですが、ギリシャ神話、北欧神話、エジプト神話やメソポタミアの神話など、各地に残る神話の神々や、そこから派生する神々、あるいは、それぞれの土着の神々を祀り信仰していたと言ってよいでしょう。

 そういった古代の宗教というのは、今のキリスト教やイスラム教や仏教のような、何々教というほどの宗教教義や教典があったわけではありません。正式な名前すらなかったものが多かったようです。
 日本に古くから伝わる神道ですら、仏教伝来に伴い、区別するためにようやく神道という名前で呼ばれだしたほどです。


 これらの「宗教」の祖となった五大聖人が世界各地に現れたのは、神様による人類の救済と教育の意味があると、ワールドメイトでは言われています。そして今や、そこからの宗教の流れが世界の信仰の主流となり、キリスト教、イスラム教、仏教は世界宗教と言われるようになりました。


 蛇足ながら、儒教の中心となる教えを残した孔子は、天の存在を説いてはいますが、ほとんど呪術的な要素がなく、宗教ではないという人もいます。
 ほとんどは為政者のために書かれたものであり、為政者が仁義の道にそって、正しい政治ができるようにしたものです。その教えが実行されれば国民の幸福につながっていくのでしょう。

 老子は、ワールドメイトでは、孔子があまりに現実的な事柄を中心に説きすぎたので、そのアンチテーゼとして、玄々妙々の世界を説くために現れたと言われています。

 仏教は、もともとはカースト制度で夢も希望も無くしていたインドの民を救うために出てきたものです。
 生まれ変わっても、最下層の者はやはり最下層に生まれるという、そういう教えに対し、涅槃寂静、悟って幸せなところに行ければ、もう生まれ変わって苦しむことが無いことを説きました。

 アブラハムからつながるユダヤ教、その流れをくむキリスト教やイスラム教などの一神教は、唯一の宇宙創造の絶対神以外の神の存在を否定します。
 それぞれの地域における神々は、本当の神ではなく、人間が作ったものとして否定されていきます。同様に偶像礼拝も戒められています。
 絶対神であり、この世を作った神様ですから、絶対に侵すことができない存在と言えます。
 そのように一神教とは、それまでのいろいろな神々を否定することが特徴なのです。

 そのような一神教という形になって神様が出てきた背景には、その時代とその地域の特色があると、ワールドメイトでは言われていました。


 ユニークなのはユダヤ教で、異教の人々や異民族から侵略を受けてきましたが、神の試練と考えていた節があります。
 そもそもユダヤの民がエジプトに移り、その後エジプトから迫害を受けるようになりました。そこからモーゼが現れ脱出するのですが、そこまでに300年間のユダヤの民の祈りがあったと言われています。

 その後も、何度も何度も迫害や侵略をうけますが、ユダヤの民は、ヤーヴェの神をもっと敬わなかったからこうなったと思っていた節があります。そこでますます絶対神としてのヤーヴェ神を信仰したのかもしれません。

 様々な侵略を受けても、それは神の試練であり、自分たちが悪かったと考えたのでしょうか。
 ある意味でもの凄い信仰力です。だからこそ、ユダヤの民は、あらゆる艱難辛苦を受けてきた歴史がありながら、世界で活躍する人がたくさん出てくる優秀な民族になっていったのかもしれません。

 
 そのユダヤ教の唯一神ヤーヴェと同じ神様を、絶対神として信仰しているのが、キリスト教のGodであり、イスラム教のアッラーと、一般的には言われています。

 イエスの登場は、ユダヤ教の律法に縛られないで、本当の愛を説き苦しむ人々を救ったところが画期的なところでしたが、もともとユダヤ教の改革派的な一派として、当時は見られていたのでしょう。だから、基本的にユダヤ教もキリスト教も、同じ絶対神を信じていると言われているのです。

 ただしワールドメイトでは、神霊界から見るとヤーヴェの神、エホバの神、アッラーの神は、それぞれ別の神様として存在しているようです。


 それらを大きな歴史の流れで考えると、キリスト教やイスラム教の出現で、あるいは儒教や仏教の出現によって、それまでの壊されてきた世界を、かなり再建することができたのではないかと思います。

 間違いなく一神教や、仏教、儒教などの宗教が世界を再建し、文明を作り、今の世界に至ってきた大きなパワーになっていると思います。

 ここは重要なところですが、歴史を検証してきた専門家の中には、宗教改革後のキリスト教的な考え方が近代文明につながったと唱える学者もいるのです。マックス・ヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」が、その好例です。


 宗教と文明は密接なつながりをもって、時代を作ってきたと言えると思います。
 ただし戦争や争いを止めることまではできませんでした。しかしながら結果として、戦争が文明をさらに飛躍させ、人類は進歩を遂げてきたのも事実です。

 戦争や争いは、別に神様が好き好んでおこしているのではなく、前回にも書いたように、人間側に問題があるからおきたのだと思います。



世界宗教分布



 人類が第二次世界大戦まで経験した後、戦後は、神仕組が大きく変わったという事を、ワールドメイトでは言われています。

 ここからは難しい話なので、ここで詳細は書きませんが、宗教を作った次元の神々ではなく、より次元が高い神々が直接降りて来られる時代になったそうです。

 それも惟神の道(かんながらのみち)を今日まで守ってきた日本を中心に降りて来られているようですね。

 一神教は他の神を信じませんし、仏教は神様を仏様より下に置いていますから、受けいれる余地はありませんよね。
 きっとこの日のために、この日本という国を、今日まで大事に神様が守ってこられたのでしょう。



 出口王仁三郎は、21世紀、日本は世界の王となると予言しています。

 仏教や一神教の時代から、惟神の道が太古から根づく日本の時代へと、いよいよ変わっていくのでしょうか。
 
 神道の持つ素朴で寛容な精神、共存共栄とこの世の繁栄を大事にする精神は、世界をまとめていける可能性が大いにあると感じます。

 しかしワールドメイトでお話を聞く限りは、最終的に宗教で世界を救うとか、そういうことではなく、もっと政治や経済を中心に、大きな角度から世界は変わっていくようです。



 現代は、超高文明の時代へと向かう曲がり角に来ていると言えます。

 そういう超高文明の時代が来るまでには、まだまだいくつもの難関や苦難を超えなければいけませんが、後戻りはできませんので前に進むしかありません。

 ワールドメイトでは、大きな血を流すような争いも無く、しかも短期間に激変した明治維新が、これから世界がまとまっていくひな形であるとも言われています。

 しかし世界中が軍備を放棄し、その分を環境問題や食糧問題や貧困問題など多くの問題の解決にあてがい、世の中が平和で素晴らしくなるためには、まだまだ多くの困難がありすぎます。
 しかも急激な世界の変化は、逆に多くの犠牲を生むことにもなりかねません。

 しかしそのような大きな流れで、実際の世の中が動き始めているのが事実ですから、この流れに逆らうことはできないでしょう。


 戦後様々な教訓から、ヨーロッパは統合に向かい、今またアジアも経済においては、すでに大きな東アジア経済圏を作っているといえる状況になりつつあります。

 一方で、異常気象や天変地変、政治や経済の混乱や動乱が、世界規模でおきています。これからも増々おきると思われます。

 人類は、世界各国が協力してまとまるしかないとわかるまで、追い込まれていくしか無いのでしょうか。

 幸い世界規模の戦争こそおきていませんが、もし核戦争でもおきるものなら人類は滅亡するので、それだけは絶対避けなければなりません。


 ワールドメイトでは、そのような大きな犠牲が出る事無く、混乱により困窮する人々が出ないように、できる限り最小限度になるように、今までも、これから先も祈り続けます。

 ワールドメイトの深見先生も還暦になられましたが、これから先少しでも長く神様のお取次ぎができるようにと、肉体の維持健康にも気をつけられているようです。

 そういう中で今週行われる、氷見でのワールドメイトの伊勢神業は、将来に大きな意味を持つ本当に大切な神事になるでしょう。

2011年11月10日 トラックバック(0) コメント(0)

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